南北朝時代・建武4年(1337)「新古今和歌集」自筆・前中納言匡房と藤原範兼の和歌・不昧公の娘・幾千姫・旧所蔵89-Aの商品情報

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  • 開始価格
    25,000円
    入札単位
    500円
  • 数量
    1個
    商品状態
    美術品(額縁は新品)
  • 開始日時
    2018年10月4日 18時39分
    終了日時
    2018年10月8日 21時38分
  • オークションID
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商品説明

南北朝時代・建武4年(1337)「新古今和歌集」自筆

松江藩主・松平治郷の娘・幾千姫(きちひめ)旧所蔵・緒方洪庵旧所蔵


不昧公・松平治郷と正室/方子(よりこ)の娘・幾千姫の落款入「新古今和歌集」自筆

《前中納言匡房と藤原範兼の和歌を記した「新古今和歌集」自筆》

「額縁入自筆原本」


上記額は、海外展示の際に用いられた額です。


「自筆原本」



原本中央に凹凸状に見えるのはストロボの影響によるものです。

自筆上下の二つの印のうち上は、「適々斎(緒方洪庵)」の落款。
下の印は、松江藩主・松平治郷の娘「幾千姫(きちひめ)」の落款。



自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。


《新古今和歌集 巻第七 賀哥(がのうた)》

前中納言匡房(さきのちゅうなごんまさふさ)

「君が代(よ)は久(ひさ)しかるべしわたらひ(渡会)や五十鈴(いすゞ)の川(かは)のなが(流)れ絶(たえ)せで」(国家大観番号730)

題しらず

讀人(よみひと)しらず

「常磐(ときは)なる松にかゝれる苔(こけ)なれば年のをながきしるべとぞ思ふ」(国家大観番号731)

二条院(二条天皇)御時(おほんとき)、「花有喜色(はなによろこべるいろあり)」といふ心を人々つかうまつりけるに

刑部卿範兼(ぎょうぶきょうのりかね)

「君が代(よ)にあへるは誰(たれ)もうれしきを花は色(いろ)にも出(いで)にけるかな」(国家大観番号732)

おな(同)じ御時、南殿の花のさかり(盛)に、歌(うた)よめと仰(おほせ)られければ

参河内侍(みかわのないし)

「身にかへて花も惜(おし)まじ君が代(よ)にみるへき春の限(かぎり)なければ」(国家大観番号733)

文責・出品者
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。



(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。


《「新古今和歌集」巻第七 賀の歌》

前中納言匡房(さきのちゅうなごんまさふさ)

(現代語訳文)「わが君(白河天皇)のお年は久しいことであろう。度会(わたらい)の五十鈴川の流れが絶えないが、その流れのように。」(国家大観番号730)

題知らず

読人しらず

(現代語訳文)「常緑の松にかかっている苔であるので、その苔を、あなたのご長寿を知るたよりだと思うことです。」(国家大観番号731)

二条院(二条天皇)の御代(みよ)、「花に喜べる色あり」という趣を、人々が詠んでさしあげた時に

刑部卿範兼(ぎょうぶきょうのりかね)

(現代語訳文)「わが君の御代に逢っているのは、だれもうれしいが、花は、そのうれしさを色にまで表わしていることよ。」(国家大観番号732)

同じ御代、南殿(なでん)の花の盛りに、「歌を詠め」とお命じになったので

参河内侍(みかわのないし)

(現代語訳文)「わたしの身の命に替えて花の散るのを惜しむということまではしないでおこう。君の御代のうちに見ることができるはずの花咲く春が限りなくあるのだから。」(国家大観番号733)


出典:日本古典文学全集「新古今和歌集」小学館・刊

備考1:「前中納言匡房(さきのちゅうなごんまさふさ)」は、大江匡房(おおえのまさふさ)のこと。長久二~天永二(1041-1111) 。大江匡衡・赤染衛門の曾孫。大学頭従四位上成衡の子。母は宮内大輔橘孝親女。神童の誉れ高く、天喜四年(1056)、十六歳で文章得業生に補せられる。治暦三年(1067)、東宮学士として尊仁親王(即位して後三条天皇)に仕えたのを始め、貞仁親王(白河)、善仁親王(堀河)と三代にわたり東宮学士を勤めた。左大弁・式部大輔などを経て、寛治八年(1094)六月、権中納言に至り、同年十一月、従二位に進む。永長二年(1097)、大宰権帥を兼任し、翌年筑紫に下向。康和四年(1102)、正二位に至る。長治三年(1106)、大宰権帥に再任、天永二年(1111)七月、大蔵卿に任ぜられた。平安時代有数の碩学で、その学才は時に菅原道真と比較された。稀有な博識と文才は、『江家次第』『狐媚記』『遊女記』『傀儡子記』『洛陽田楽記』『本朝神仙伝』『続本朝往生伝』など多数の著作を生み出した。

備考2:「刑部卿範兼(ぎょうぶきょうのりかね)」は、「藤原範兼(ふじわらののりかね)」のこと。「刑部卿」は、官職名。嘉承二~長寛三(1107-1165) 。式部少輔能兼の長男。母は兵部少輔高階為賢の娘。権中納言範光・式部少輔範季らの父。天治二年(1125)、昇殿を許され、大治元年(1126)、蔵人として鳥羽院に仕える。左衛門少尉・式部少輔・東宮学士・大学頭などを経て、保元元年(1156)、越前介を兼ね、従四位上に叙せられる。永暦元年(1160)、近江守を兼ね、応保二年(1162)、大学頭から刑部卿に転任。同三年、従三位に叙せられる。


額縁は「海外展示」のための専用額縁(素材)による「仕様」となっております。


「自筆の画像断層(MRI)写真」
「画像写真」上部に「Shinkokin Wakashu・1337・Princess Kichihime」と表示されております。


(断層画像MRI 071131―1337―M―89―A

自筆上部の印は「適々斎(緒方洪庵)」、上記断層画像の印は「玉映(幾千姫)」の落款


「自筆上巻奥書の花押・落款・赤外線写真」(下の2枚の写真)
右側の写真の説明
上巻奥書「画像写真」(国家大観番号897・藤原顕綱朝臣の和歌の末尾)左に「不味公・正室・方子」の落款、及び不味公の娘「幾千姫(きちひめ)」の自署の花押と落款がある。上の印二つは、松平治郷(まつだいらはるさと)の正室・方子(よりこ)の号「方子」と方子自身の他の号である「せい楽(せいという字は青へんに杉の字の右を書く)」の落款が押捺されている。方子の落款の下に、松平治郷(まつだいらはるさと)と正室・方子(よりこ)の娘・幾千姫(きちひめ)の自筆の花押、一番下の印は、幾千姫(きちひめ)の号「玉映」の落款。

左側の写真(赤外線)の説明
自筆を保管した箱書と布地(麻)に「建武四年」の年号が記されている。布地に記載された年号は自筆を包んだ和紙と密着し肉眼では判読できないため「赤外線」により撮影された。


左は赤外線写真。右の写真は、上から「方子(よりこ)」の二つの落款。幾千姫(きちひめ)自筆の花押と「玉映」の落款。


1・自筆の「所蔵来歴」について
自筆には、「方子・玉映・適々斎」の落款の押捺、及び「幾千姫(きちひめ)自筆の花押」の署名がされていることから、松江藩主・松平治郷(まつだいらはるさと)と正室・方子(よりこ)から娘・幾千姫(きちひめ・号は玉映)に渡り、のちに緒方洪庵(号は適々斎)を通し、仙台藩に伝来したことがわかっている。 松江藩の江戸邸(赤坂)と仙台藩の江戸・上邸(麻布十番)は近くにあるため、往来は頻繁にあり「自筆」は、茶会の「道具」として活用されたものである。 松平治郷の正室・方子(よりこ)は、伊達宗村(仙台藩の第6代藩主)の娘である。松平治郷《宝暦元年2月14日(1751年3月11日)~文政元年4月24日(1818年5月28日)》は、松江藩の第7代藩主であり、江戸時代の代表的茶人の一人で、号は不昧(ふまい)という。自筆の奥書に記された「建武四年(1337)」の年号から、自筆の最初の所蔵主は「松平治郷」であることがわかる。松江藩主・松平治郷(はるさと)の正室・方子(よりこ)は、「方姫(よりひめ)」ともいう。「方姫(よりひめ)」の父・仙台藩の第6代藩主・伊達宗村が「方姫(よりひめ)」が「嫁入り」の際に持参させたとの解釈、及び62万石から19万石に嫁いだ方子を通じ、茶道で名をなした不昧公が、方子の見栄も含め、伝来および自己の最高の品の写本を仙台の実家にもたらしたとする解釈もある。上記の通り、出品の自筆の元の所蔵者は、「仙台藩・第6代藩主・伊達宗村」「松江藩・第7代藩主・松平治郷(はるさと)」の両者の解釈があり確定していない。「建武四年(1337)」は、「南北朝時代」である。 「新古今和歌集」上巻末尾に松平治郷(まつだいらはるさと)の正室・方子(よりこ)の号「方子」と方子自身の他の号である「せい楽(せいという字は青へんに杉の字の右を書く)」の落款が押捺されている。

2・「手鑑(てかがみ)」について
 原本は、緒方洪庵が「歌人別」に分類し、ほかの自筆との識別・分類・照合をするための「手鑑(てかがみ)」として用いたものです。
和歌ごとに「古切」となっているのは、こうした理由によるものです。また、自筆の断簡の数が多くなると、自筆の分類をするために基本となる「手鑑」によって識別をします。現在は、写真によって識別・鑑別をすることができますが、写真のない時代には「手鑑」によって識別・鑑別をしておりました。古来、「手鑑」は、鑑定の「つけ石」として活用され、人の目に触れることはありませんでした。「手鑑」は、本来、自筆切の和歌の右上に「極付(きわめつけ)」という札を貼り付け、その下に落款を押捺します。この札は、別名「題箋(だいせん)」ともいいます。緒方洪庵は「極付」のつもりで落款を押捺したと推定されております。

3・「極め札」について
「極付(きわめつけ)」は、「極め札」と同じ意味です。古来、鑑定の目的で添付される「極め札(極付)」は、「折り紙」でありましたため、「折り紙付」とも称されました。
「極め札」を「極付」とも称するのはこうした理由によるものです。逆に偽物が多いため、信頼性がないという意味で「札付き」の言葉が生まれました。アメリカでは、電子顕微鏡や断層写真などの高度な先端科学技術を用いて判断をしているため「断層写真」が現代の「極め札(極付)」となっております。上の写真は、科学的で客観的な分析データを重視するアメリカの航空宇宙局(NASA)の技術による「断層(MRI)写真」です。「断層(MRI)写真」によって、自筆切の詳細を知ることができます。NASA(アメリカ航空宇宙局)の優れた技術である「断層(MRI)写真」撮影を通して、日本の優れた伝統技術をアメリカ国内において広く紹介しているものです。

4・「額縁付」自筆について
出品した自筆の最初の所蔵主は、上記1の「所蔵来歴」に記載する通り、松江藩主・松平治郷(まつだいらはるさと)か仙台初代藩主・伊達政宗まで遡る貴重な自筆であるため、アメリカでの展示に際し保険が付されておりました。約款上、ガラスの破損による自筆の損傷を防止するために「自筆」と「額縁」を別口で輸送することが定められております。日本に戻る際にも同じ約款が適用されるため「自筆」と「額縁」が別口で到着しております。落札後は、出品画像の通り、海外展示の「額縁付」状態に戻し、出品写真の通り、海外展示状態での「額縁付」でお送りいたします。


「新古今和歌集奏覧800年記念切手」発行のリーフレット(日本郵政公社)




「新古今和歌集記念切手」の詳細は、日本郵政公社のホームページで閲覧する
ことができます。 「新古今和歌集奏覧800年記念切手」をぜひご覧ください。



「額縁裏面のラベル」



裏面ラベルの表記について

自筆は、海外展示の際、「Shinkokin Wakashu・1337・Princess Kichihime」と記載されております。「Kichihime」と記される「幾千姫(きちひめ)」の父は、松江藩主・松平治郷(はるさと)、母は仙台・六代藩主・伊達宗村の娘・「方子(よりこ)」です。「方子(よりこ)」は、嫁ぐ前「方姫(よりひめ)」と呼ばれていたことから、「幾千」も「幾千姫(きちひめ)」と呼ばれていた。「幾千姫(きちひめ)」の花押は、父・松平治郷(はるさと)の花押を真似たものでよく似ていることが知られている。


わが家で代々所蔵している建武4年(1337)「新古今和歌集」自筆を出品
商品説明 南北朝時代・建武4年(1337)「新古今和歌集」の和歌の自筆〔古切〕です。
貴重な「新古今和歌集」自筆を身近なものとして鑑賞することができます。
緒方洪庵が所蔵した際の和歌は、1979首のうち「千余首」と記されている。自筆の裏面の複数の「糊の剥離痕」から緒方洪庵以前にも古切にされ、最終的に緒方洪庵によって「歌人別」に分類されたものと考えられます。幕末頃、仙台藩から「緒方洪庵所蔵」の和歌の借覧の依頼があり、二百首ほど貸し出されておりますが、仙台藩の「廃城令」による廃城によってこの貸出分が消息不明になっております。このため、現存分のすべてを、研究のためにこの30年余りの間、海外の大学等に貸し出しておりました。

自筆 自筆切の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにある。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「新古今和歌集」の文字が記されている。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。落札後には、見やすいようにA4サイズの「光沢紙」に転写し交付いたします。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」されている。撮影後、展示のために再表装をしている。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっている。
断層写真 従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡などが中心。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができる。
寸法 自筆の大きさ タテ24.0センチ ヨコ15.8センチ。額縁の大きさは、タテ40.0センチ ヨコ30.0センチ。額縁は新品です。周辺の白い線はストロボ撮影による光の反射光で傷ではありません。
解読文 自筆の「現代語訳解読文(通行訳)」は、「日本古典文学全集」「新古今和歌集」(小学館:刊)に記されております。
稀少価値・来歴 出品した「新古今和歌集」自筆は、和歌だけの断片です。このような断片を「古切」といいます。貴重な和歌を断片化し、「手鑑」にして鑑賞していたものです。「新古今和歌集」は、元来一帖であり、後の時代に巻物となり、さらに時代が下り、主な和歌は「手鑑」となり、一部は、「屏風立て」や「掛軸」となって鑑賞されていたものです。
 原本は、緒方洪庵が「歌人別」に分類し、ほかの自筆との識別・分類・照合をするための「手鑑(てかがみ)」として用いたものです。
和歌ごとに「古切」となっているのは、こうした理由によるものです。また、自筆の断簡の数が多くなると、自筆の分類をするために基本となる「手鑑」によって識別をします。現在は、写真によって識別・鑑別をすることができますが、写真のない時代には「手鑑」によって識別・鑑別をしておりました。
古来、「手鑑」は、鑑定の「つけ石」として活用され、人の目に触れることはありませんでした。「手鑑」は、本来、自筆切の和歌の右上に「極付(きわめつけ)」という札を貼り付け、その下に落款を押捺します。この札は、別名「題箋(だいせん)」ともいいます。緒方洪庵は「極付」のつもりで落款を押捺したと推定されております。
HP 出品者の家で代々所蔵している作品以外の所蔵品を紹介した 「ホームページ」をぜひご覧ください。
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。



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