【新発見・新公開】 吉良上野介直筆書状 上杉家重臣宛 直筆は国内で数例 ◆古文書/忠臣蔵/赤穂/浅野/大石内蔵助/泉岳寺中国/義士/江戸将軍の商品情報

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    1,000円
    入札単位
    1,000円
  • 数量
    1個
    商品状態
    中古
  • 開始日時
    2018年12月6日 10時27分
    終了日時
    2018年12月13日 22時12分
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商品説明

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◆新発見・新公開の吉良上野介直筆書状です◆ 横:26cm 縦:19cm

吉良上野介義央が、米沢藩上杉家の重臣、平林伊兵衛正包に宛てた新発見の直筆の書状です。

書状の内容は、上杉家から年賀の挨拶にわざわざ当家に足を運んでいただいたのに、不在を
しておりお会いする事が出来ず大変失礼したとの内容。上杉家の名代として、平林伊兵衛が、
江戸の上杉家上屋敷から吉良邸を年賀の挨拶に訪問した際のものだと思われます。上杉家の
米沢藩四代藩主綱憲公は、吉良上野介の長男で上杉家の養子であり親戚関係にあたります。

祐筆が代筆した花押のある書状は複数あるようですが、吉良上野介本人の直筆書状は国内に
数点しか発見されておらず、平成24年に本願寺から直筆が発見されたとメディアに大々的に
報道されております。出品物に吉良上野介ではなく、吉上野介と記されているのは、親しい
関係にある人物には、型苦しい花押などを使わず、伊達政宗が松平陸奥守を松陸奥守などと
記した書状が多いように、大名家では通例のようです。平林伊兵衛も日頃から、上野介と重
臣として行き来があった事から、通常の書状として上野介自身がさらさらとしたためたもの。

出品物の書状は、直江兼続の副臣として知られた、上杉家の重臣平林蔵人家に所蔵され、上
杉家書状五通と記された和紙の袋に収められ複数の落款が押され封印。中には平林蔵人など
当主に宛た、高家上杉兵部茂長からの書状、尾張藩家老下條庄右衛門正員からの書状、高野
山清浄心院門跡からの書状と、酒井挙瑞(大名家家老?)の書状が収められその中の一通に
本出品物の吉良上野介の書状が入っていたもの。(最後の参考写真1・2参照)
※五通共に未発表の書状ですが、最後2枚の参考写真掲載物は今回の出品物ではありません。


平林家は、上杉家譜代の重臣で、初代平林蔵人佐正恒 二代:内之介正興 三代:靭負正信
四代:伊平衛正包 五代:蔵人正賀以降明治まで重臣として存続します。通称伊兵衛を名乗
った人物は、四代:伊平衛正包しかおらず、この人物に宛てた書状である事が分かります。
伊平衛正包は、元禄四年五月十一日に卒スと上杉家家臣録に記載されておりますので、それ
以前の吉良上野介からの書状である事が分かります。

吉良上野介義央:1703年没(元禄15年12月14日)  平林伊兵衛:1691年没

着物用の桐箱に収め、防虫剤などを入れながら頻繁に確認して保管しておりましたが、素人
には中々重荷となりましたので、然るべき所蔵先にお譲りするために手放します。

赤穂事件で、吉良上野介が悪役とされて後世に語り継がれておりますが、米沢藩主が実子と
は言え、執政でもない一家臣の平林伊兵衛に対して、決して見下さず、不在の詫び状を自ら
さらさらとしたためて上杉家宛ではなく、来訪した家臣宛に送るなど、細やかな配慮が出来
る人物の一面も見て取れます。取りも直さず、郷里の吉良町での領民思いの領主だったとの
評を裏付ける一面を物語る書状かと思います。尚、世をはばかって処分されたのでしょうか、
数多くやり取りされた筈の上杉家には、吉良上野介の書状は一通も残されていないとの事。

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(2018年 12月 8日 5時 39分 追加)
ご質問もいただいておりますので、説明の追加として記載させていただきます。本出品物を、古文書解読の専門員に見ていただいております。通常、苗字を松平を松、吉良を吉など略して記載する場合、本人が記載したものが多いとの事。また、文章の締めくくりの表現は、決して敬意を表した表現と言う訳ではなく、極々一般的な身分が格下の者に対して記載する定形句であるとの事。花押が押されて、大名や、上級武士が使用した厚地の和紙への記載と、一部の御用留などの記録は、祐筆が行うが、書状形式の物は、本人が記載したものが大半であるとの事でしたので追記致します。

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