第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した関白・近衛基熙・旧蔵・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」帚木の巻・相思相愛の源氏の君と空蝉の商品情報

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第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した関白・近衛基熙・旧蔵・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」帚木の巻・相思相愛の源氏の君と空蝉の1番目の画像
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  • 開始価格
    23,000円
    入札単位
    500円
  • 数量
    1個
    商品状態
    美術品(額縁は新品)
  • 開始日時
    2017年8月15日 18時58分
    終了日時
    2017年8月19日 21時58分
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商品説明

京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」

関白・近衛基熙(このえ もとひろ)旧所蔵「源氏物語」

 関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の娘・常子内親王と結婚。二人の長女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録が残っている。他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(下記に掲示)

 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。

 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。

 近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著しております。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。

 出品した「源氏物語」は帚木(ははきぎ)の内容の要旨
 「五月雨(さみだれ)」の夜、17歳になった光源氏のもとに、妻である葵の上の兄である頭(とうの)中将が訪ねてきた。さらに左馬頭(さまのかみ)と藤式部丞(とうしきぶのじょう)も交えて、4人で女性談義をする。中将は、女性と付き合うなら「中の品」(中流)の女性が一番よいと語る。「女性談義」のこの場面は、『雨夜の品定め』とも呼ばれ、古来、多くの源氏物語の絵巻に描かれている。国宝・源氏物語の「帚木」、或いは海外に流出したフリーア美術館(英語名Freer Gallery of Art)の「源氏物語絵巻」の「帚木」が有名である。
自筆下部の印は出雲藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)

(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載

《「源氏物語」帚木(ははきぎ)の巻・相思相愛の源氏の君と空蝉・逢瀬のままならぬことを悩む》

「源氏物語」「帚木(ははきぎ)」を元に描かれた絵はユネスコで画像が公開されております。
「帚木」の巻は英文で「The Broom Tree」と表記されます。

「額縁入原本」


(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

「自筆原本」

《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》

自筆下部の印は出雲藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)


自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。


《「源氏物語」帚木(ははきぎ)の巻》
おかしうもやあらまし。しひて、思ひ知らぬ顏に見消つも、いかに、程知らぬやうに思すらん」と、心なからも胸痛く、さすかに思ひみたる。
「とてもかくても、今は、いふかひなき宿世なりけれは、無心に、心つきなくて、止みなん」と、思ひはてたり。
君は、「いかに、たはかりなさむ」と、また幼きを、後めたく待(ち)臥し給(たま)へるに、不用なるよしを聞ゆれは、「あさましく、珍らかなりける、心の程を。身もいと恥つかしくこそ、なりぬれ」と、いと、いとほしき御けしき(氣色)なり。


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。



(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。


《「源氏物語」帚木(ははきぎ)の巻》
《源氏の君・空蝉の住む邸を訪ねる》
《相思相愛の源氏の君と空蝉・逢瀬のままならぬことを悩む》
《(空蝉)「ほんとにこうして身分の決ってしまった境遇ではなく、元の親の御面影の残っている実家にいながら、たまさかにでも源氏の君のお越しをお待ち受けするのであったら、どんなにか》・・・・・幸せなことだろうに。しいて何も分らぬふうをよそおって源氏の君のお気持を無視するのも、どんなにか身の程をわきまえぬ女とおぼしめすことだろう」
と、自ら決めたことながら、せつなくて、さすがにあれこれと思案に乱れている。
ともかくもこうなったからには、何を言ってみてもかいのない運命(さだめ)なのだから、情け知らずの人づき悪い女として押し通そう、と思い定めている。
源氏の君は、小君がどのように事を運んでくれているかと、まだ幼いのを心配しながら横になって待っていらっしゃると、戻ってきて、不首尾のよしを申しあげるので、あまりといえばあまりにも女(空蝉)の気丈さに、
(源氏の君)「このわたしの面目もまるつぶれになった」
とおっしゃって、ほんとにおかわいそうなご様子である。

現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)

備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。


自筆の疎明資料等は、下記の通りです。



(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。筆者は近衛関白政家公。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。年号の左の印は、出雲藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。左の写真は、奥付。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。上下2段の花押のうち、上の印は。出雲藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)


「自筆の画像断層(MRI)写真」


(出品した自筆の「断層画像写真」(帚木の巻)MRI 02―50―B)


「額縁裏面表記ラベル」「近衛基熙の肖像」「後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録」


1番上は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)


下の写真のうち上段は、国宝「源氏物語絵巻」のうち「帚木」(源氏物語絵巻・小学館)

上の写真下段は、「源氏物語」「帚木」の屏風・アメリカワシントン・フリーア美術館(Freer Gallery of Art)所蔵


大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品
商品説明(来歴) 大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。

自筆の希少価値について 自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。

断層(MRI)写真 従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。

寸法 「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。額縁は新品です。

「源氏物語」の自筆について 1・筆跡の分析について
 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。

2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。

3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。

4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。 承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている

HP 近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。 出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。

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