図録/秀吉と桃山文化/鎧.兜.胴具足.太刀.短刀.火縄銃.陣羽織.喉輪.面頬.鐔/織田信長.伊達政宗.明智光秀.石田三成.千利休.古田織部.他/掛軸の商品情報

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    2018年7月9日 2時6分
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商品説明


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■図録■『秀吉と桃山文化』■大阪城天守閣名品展■「序章」―南北朝・室町の争乱/南北朝・室町・武器・武具の名品/戦国の幕開け■「第一部」―豊臣秀吉・天下統一への道/群雄割拠/織田信長の登場/天下人秀吉/太閤記の世界/秀吉の一族■「第二部」―太閤秀吉と桃山文化/南蛮文化/茶人の書と肖像/蒔絵・調度品/桃山時代の武器・武具/朝鮮出兵■「第三部」―豊臣秀頼と大坂の陣/秀吉の死/関ヶ原合戦/天下人二世/大坂の陣■「終章」―大坂城再築■「大阪城のあゆみ・年表」―石山本願寺時代/豊臣秀吉の大坂城/徳川時代の大坂城/明治以降の大坂城■豊臣秀吉/豊臣秀長/豊臣秀頼/北政所/織田信長/織田信雄/池田恒興/徳川家康/伊達政宗/柴田勝家/武田信玄/武田勝頼/上杉謙信/浅井長政/六角定頼/毛利隆元/毛利元就/小早川隆景/小早川秀秋/斎藤道三/九鬼嘉隆/北城氏政/石田三成/前田利家/宇喜多秀家/加藤清正/明智光秀/加藤清正/松永久秀/他■千利休/古田織部/細川三斎/織田有楽斎/蒲生氏郷/小堀遠州/他■鎧/兜/腹巻/胴丸/胴具足/太刀/短刀/大火縄銃/火縄銃/陣羽織/喉輪/面頬/矢筒/刀筒/鞍・鐙/鐔/軍配■禁制/朱印状/黒印状/書状/行状/役軍令状/連署状/血判状■茶道/道具■木彫/仏像■絵画/掛軸/屏風■花押■図版・254点・(組)・全カラー■以下詳細をご覧下さい!!■



■■『図録』・・・■■



●●『秀吉と桃山文化』・・・●●

―”大阪城天守閣・名品展”―

  ◆毎日新聞社。



―”ごあいさつ”―

★このたび毎日新聞社と岐阜県歴史博物館・北九州市立美術館・
  北海道近代美術館・福島県立博物館・高知県歴史民俗資料館の
  各館共催により・『秀吉と桃山文化―大阪城天守閣・名品展―
  』・が全国縦断の巡回展として開催されることとなりました。
  大阪城天守閣は特別協力の形で参加するものであります。

  昭和六年の大阪市民の熱意によって再建された大阪城天守閣は
  ・大阪のシンボルとしての役割を果たし続けてきましたが・同
  時に・大阪最初の博物館施設として・安土桃山時代の歴史資料
  を中心に資料収集と展示に努めてまいりました。
  その結果・今日では約8000点の収集品を擁し・それらの中
  には・同時代の歴史資料として価値の高いものが少なくありま
  せん。

  これらの展示資料うち・大坂城の伝世品はだだの1点もなく・
  すべてこの65年間に新規に収集されたものばかりであります
  が・その大半は第二次大戦後の収集になるもので・得難い関係
  資料が・天守閣の持つ不思議な吸引力に引き寄せられるかのよ
  うに・今も集まり続けています。
  管理主体である大阪市が・戦後早くからかなり多額の展示品購
  入予算を毎年計上して・積極的に努めたことに加えて・多くの
  篤志家による貴重な展示品寄贈が相つぎ・次第にコレクション
  の内容が充実してきました。

  その内容の特色を挙げれば・秀吉を筆頭に多くの戦国武将や同
  時代の古文書が充実していること・大坂夏の陣屏風や賤ヶ岳合
  戦図屏風・南蛮屏風など屏風絵に見るべきものがあること・秀
  吉・家康などの画像・木像などの肖像などもかなりあり・甲冑
  ・武具類・漆器類など比較的恵まれていること・などが長所と
  いえます。
  これらの資料は・第二次大戦後の社会的激変期に・元の所有者
  が次々に手離されたものを・それらの史料価値を見抜いた先人
  達が一定の方針の下に意欲的な収集に努めた成果といってよく
  ・さらにその後の粘り強い努力の到達点でもあります。
  現在から収集にとりかかるのであれば・おそらくこれだけの質
  量の安土桃山時代の歴史資料をあつめることは不可能に近いこ
  とでしょう。
  他方・刀剣類が少なく・陶磁器はゼロに等しいなど・大きな弱
  点ももっています。
  ことに秀吉関係資料としては・愛刀や茶の湯の遺品などがほし
  いのはやまやまですが・いくつもの要因により新たな収集は容
  易なことではありません。
  今後の課題として取り組んでまいりたいと存じます。

**”1996年”**
                    ―”大阪城天守閣”―


■主催。
  ●岐阜県歴史博物館。
  ●北九州市立美術館。
  ●北海道近代美術館。
  ●福島県立博物館。
  ●高知県歴史民俗資料館。
  ●毎日新聞社。

■特別協力。
  ●大阪城天守閣。

■会期・会場。
  ●1996年4月19日~5月26日。
  ●岐阜県歴史博物館。

  ●1996年6月4日~7月7日。
  ●北九州市立美術館。

  ●1996年8月17日~9月22日。
  ●北海道近代美術館。

  ●1996年10月5日~11月24日。
  ●福島県立博物館。

  ●1996年12月3日~1997年1月26日。
  ●高知県歴史民俗資料館。

■監修。
  ●渡辺武・(大阪城天守閣館長)。

■企画。
  ●北川央・(大阪城天守閣学芸員)。

■図録編集。
  ●北川央・(大阪城天守閣学芸員)。
  ●宮本裕次・(大阪城天守閣学芸員)。
  ●跡部信・(大阪城天守閣学芸員)。

■資料名称英文翻訳。
  ●坂本好子。

■表紙デザイン。
  ●桃山楓。

■発行。
  ●毎日新聞大阪本社。

■サイズ=22.5×28cm。
■定価=記載なし。
■状態=美品。
  ●表紙に・多少の・キズ・ケが有ります。
  ●本誌内に・多少のヤケが見えますが・大きなダメージは無く
  ●年代的には・良い状態に思います。



◆◆注意・・・◆◆

 ★本誌・開き側上に多少のシミが有ります。

 ★発行日より・経年を経て下ります。
   コンディションに係らず・古書で有る事を充分に御理解の
   上・御入札下さい。


●全・244頁・上質紙・カラー・・・!!



●図版・254点・(組)・カラー・・・!!

  ◆組数ですので・総数は・相当数になります。

  ◆多くの甲冑・兜・他・が掲載されて下ります。

  ◆多くの武将・茶人・等の書状も掲載されて下り・釈文が添
    います。
    また・拡大図は有りませんが・「花押」・の見取れる・図
    版も数多く有ります。



●「図版」・頁に・・・!!

  ◆品名/年代/所蔵/他/(英文)。



●「資料解説」・頁に・・・!!

  ◆指定/品名/所蔵/解説/釈文/他。



●「出品目録」・頁に・・・!!

  ◆資料名/員数/法量(cm)/所蔵者/寄贈者。



●蒐集・資料などの・参考に・・・!!



●探されていた方は・この機会に・・・!!



●以下・詳細をご覧ください・・・!!

  ◆掲載案内は抜粋して下ります。

  ◆掲載内容は・Q&Aより・問い合わせ下さい。

  ◆数字記載は目視です・間違いは御容赦下さい。



●掲載を抜粋紹介し・「タイトル」・と致します。



■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★



■■『ごあいさつ』■■

**”大阪市・(社)大阪観光協会”**



■■『大阪城天守閣・収蔵資料の特色』■■



■■『秀吉の人物像点描』■■

―”大阪城天守閣収蔵史料にみる”―

**”渡辺武・(大阪城天守閣館長)”**

 ●自筆書状の語るキャラクター。

 ●天才的広報マンとしての秀吉。



■■『豊臣秀吉・略年譜』■■



■■『図版』・・・■■

**”(全カラー)”**


●●『序章』・・・●●

―”南北朝・室町の争乱”―

★秀吉の天下統一は、一世紀にわたる戦国争乱の終結をもたらし
  たが、それは南北朝の動乱以来の下剋上の世の終焉をもたらす
  ものであった。
  十四世紀の中・後期、およそ60年間も続いた南北両朝の抗争
  と混乱の中から新たに無数の上豪・地侍が生まれ、古代以来の
  荘園制に打撃を与え、旧秩序を揺さぶりはじめた。
  この動乱を収束して、室町幕府は確立されたが十五世紀中葉に
  は早くも幕府を支える三管四職・(細川・畠山・斯波の三管領
  家・山名・京極・一色・赤松の四職家)・の不統一、対立抗争
  が始まり、各地の守護職もしだいに守護大名として自立を目指
  し、幕府と将軍の威信を低下させた。
  ついに、応仁元年、京都において管領細川勝元と四職の雄、山
  名宗全との武力衝突が勃発。
  これを機に、全国の諸大名が抗争に加担して戦いがくりかえさ
  れ、文明九年まで10年間におよぶ内乱状態がつづいた。
  この応仁・文明の乱は、それに続く約一世紀にわたる戦国時代
  の幕開けとなった。

●「南北朝・室町・武器・武具の名品」・・・●

★くりかえされる合戦の中で、攻撃用・防御用の武器・武具にも
  変化が現れ、南北朝以来、甲冑では、大鎧より簡便で機動性の
  高い胴丸が流行し、室町時代には、さらに機動的な腹巻が多用
  されるようになった。
  兜も、星兜全盛から、筋兜全盛へと変化してゆく。
  これらの武器・武具は、戦闘の実用性こそが生命である多用が
  同時に、戦場でのファッションとしてデザインに工夫がこれさ
  れ、そこに時代の変化が反映し、わが国独特の美術工芸品とな
  った。

 ◆1・重要文化財・色々糸威腹巻・大袖付。
              ・兵庫・太山寺。

 ◆2・重要文化財・紺糸素威腹巻・大袖付。
              ・兵庫・太山寺。

 ◆3・重要文化財・大円山形星兜。
              ・護良親王所用。
              ・和歌山・淡島神社。

     ★父後醍醐天皇をたすけて鎌倉幕府打倒に活躍した、
       大塔宮護良親王・(1308~35)・着用の品と
       伝える三十六間二方白星兜で、紀州加太の淡島神社
       に古くから伝来する名品である。
       前立の大鍬形が残存しているが、短く切り縮められ
       て原形をとどめない。
       大円山というのは兜の鉢の形式の一つで・形が円く
       、前後左右の両径がほぼ等しいものをさす。

 ◆7・三十三間総覆輪阿古陀形兜。
              ・大阪市立美術館。

     ★黒漆塗りに見事な金覆輪が映える。
       三鈷形の前立と菊文透かしの鍬形台は金銅製。
       革包みの吹返しその他の特徴から室町時代・(15
       ~16世紀)・の遺品と判定される

 ◆8・黒韋威胸紫紅白胴丸。

 ◆4・重要文化財・金銅造丸鞘太刀。
              ・護良親王所用。
              ・和歌山・淡島神社。

 ◆5・重要文化財・短刀・銘・「吉光」。
              ・伝・足利義稙寄進。
              ・大阪・開口神社。

●「戦国の幕開け」・・・●

 ◆8・紀伊国守護畠山持国奉書案。

     ★「宝徳2年6月19日付・玉置小太郎宛」。

 ◆9・室町幕府管領細川勝元奉書案。

     ★「文明3年3月27日付・畠山尾張守宛」。

 ◆10・三好長慶・書状。

     ★「年未詳・宛所欠・(武将花押鑑より)」。

 ◆11・松永久秀・書状。

     ★「年未詳・11月9日・寺上・松二兵宛」。


●●『第一部』・・・●●

―”豊臣秀吉・天下統一への道”―

●「群雄割拠」・・・●

 ◆12・戦国合戦図屏風・(右隻・左隻)。
              ・富山・個人。

 ◆13・伊達政宗・自筆書状。

     ★「年未詳・8月18日付・宛所欠。」

   ★伊達政宗・(1567~1636)・出羽米沢城を本拠
     とした戦国大名で、父・輝宗の横死後積極的に領土拡張
     を図り芦名氏を破った天正十七年・(1589)・には
     、名実ともに奥州の覇者となった。
     翌年、豊臣秀吉の天下統一事業の前に屈服したが、以後
     も統一政権下の有力大名として重きをなし、仙台藩62
     万石の基礎を築いた。
     本状は政宗が、大坂の秀頼に初鮭を進上した時の手紙で
     、文面から見て秀頼側近の有力者にあてたものであろう。
     年次は推定しかねるが、秀吉没後から大坂夏の陣まで、
     すなわち慶長三年・(1598)・から、同年二十年ま
     での間のものである。
     なお、日付は奇しくも秀吉の命日にあたる。

 ◆14・北城氏政・書状。

     ★「年未詳・5月2日付・守津木下総守宛」。

 ◆16・武田信玄・配陣図屏風。
              ・(右隻・左隻)。
              ・富山・個人。

 ◆15・武田信玄・二十四将図。
              ・同・武田信玄の部分。

 ◆17・武田勝頼・朱印状。

     ★「天正8年10月10日付・守津木下総守宛」。

 ◆18・上杉謙信・画像。

 ◆19・上杉謙信・安堵状。

     ★「天正2年9月29日付・二宮左衛門大夫宛」。

 ◆20・浅井長政・書状。

     ★「年未詳・9月11日付・浅見新右衛門尉宛」。

 ◆21・六角定頼・自筆書状。

     ★「年未詳・11月19日付・大野中務丞宛」。

 ◆23・毛利隆元・感状。

     ★「弘治2年4月23日付・神田蔵人丞宛」。

 ◆22・毛利元就・感状。

     ★「弘治2年4月28日付・神田蔵人丞宛」。

 ◆24・小早川隆景・木像。

●「織田信長の登場」・・・●

 ◆25・斎藤道三・遺言状。

     ★「弘治2年4月19日付・児宛」。
              ・大阪・岡本家。

   ★油売り行商人から身をおこして美濃一国を領する戦国
     大名にまで成り上がった、斎藤道三・(1495~15
     56)・は弘治2年4月20日その嫡子・斎藤義龍・(
     1527~61)・と戦い敗北した。
     本状はその前日、道三が末子・「児」・(勘九郎)・に
     宛てた遺言状で、かねてからの約束通り、勘九郎が京都
     の妙覚寺で出家してくれれば、道三も仏の果報を得るで
     あろうと述べるとともに、美濃国については娘婿の織田
     信長へ譲る旨をすでに書き送ったと伝えており、史料と
     して未解決の点を遺しているとはいえ、非常に興味深い
     内容である。

 ◆26・桶狭間合戦・配陣図。
              ・「百戦図鑑」下巻より。

 ◆27・木瓜桐文緋羅紗陣羽織。
              ・伝・信長より秀吉拝領。

 ◆28・足利義昭・御内書。

     ★「元亀3年11月11日付・井上新三郎宛」。

 ◆29・姉川合戦絵図。

 ◆30・味方ヶ原合戦絵図。

 ◆31・長篠合戦図屏風。

     ★武田騎馬隊を迎え撃つ・織田・徳川鉄砲隊・部分。

     ★武田勝頼・本陣・部分。

     ★徳川家康・本陣・部分。

     ★織田信長・本陣・部分。

 ◆32・武田勝頼・書状。

     ★「天正元年8月25日付・山縣右兵衛尉宛」。

 ◆33・徳川家康・書状。

     ★「天正3年3月13日付・岐阜殿宛」。

 ◆34・織田信長・黒印状。

     ★「天正3年6月6日付・木津春熊宛」。

   ★天正三年五月二十一日、織田信長は徳川家康と連合して
     、武田勝頼と戦い、約三千挺の鉄砲隊の威力をもってこ
     れを打ち破った。
     世に名高い長篠合戦である。
     本黒印状は、早速戦勝祝いを届けてきた、木津春熊・(
     山城国の国人木津氏の一族であろう)・に宛てた礼状で
     、「このたび東国の敵を討ち果たし平均にした」・との
     文面からは、信玄以来無敵を誇っていた武田騎馬隊を壊
     滅させた信長の得意気な様がうかがわれる。
     なお、文中にその名のみえる、塙九郎左衛門尉直政は当
     時、山城国の守護をつとめていた人物。

 ◆35・顕如上人・画像。

 ◆36・阿弥陀如来立像・(伝・顕如上人持仏)。

 ◆38・顕如上人・書状。

     ★「天正8年後3月20日付・下間刑部卿法眼等三名
       宛」。

 ◆35・石山合戦・配陣図。

 ◆39・織田信長・黒印状。

     ★「天正6年10月13日付・九鬼右馬允宛」。

   ★一向一揆の総司令本部、浄土真宗本願寺派の総本山であ
     った大坂の石山本願寺と織田信長の戦いは、元亀元年か
     ら天正八年にかけて11年にも及んだ。
     この間、天正四年七月に石山本願寺を支援すべく来襲し
     た村上海賊衆を中心とする毛利水軍の前に、織田水軍は
     敗北した。
     これに懲りた信長は、滝川一益と九鬼嘉隆に命じ伊勢大
     湊にて鉄船を建造させ、同六年再び来襲した毛利水軍を
     見事に撃破。
     大阪湾の制海権を握り、九鬼水軍の勇名は天下に轟いた。
     本状は、同年十月十三日付で、信長が九鬼嘉隆に与えた
     感状で、前日の木津川口・(現・大阪市)・での合戦に
     おいて敵将の首二つ打ち取ったことを賞したもの。

 ◆40・三巴紋緋羅紗陣羽織。
              ・九鬼嘉隆所用。
              ・和歌山・九鬼家。

 ◆41・蜀江錦唐草革銀覆輪鞍・鉄鐙。
              ・伝・九鬼嘉隆所用。
              ・和歌山・九鬼家。

 ◆42・刀銘・「正廣作」・「助宗止作」・九鬼嘉隆帯之。
              ・九鬼嘉隆所用。
              ・和歌山・九鬼家。

 ◆43・「絵本拾遺信長記」。

 ◆44・武田勝頼・密書。

     ★「天正7年正月9日付・安国寺宛」。

   ★武田勝頼は長篠の合戦での大敗後も毛利輝元や石山本願
     寺と提携して信長政権に抵抗を続けた。
     本状は、毛利輝元の側近の怪僧・安国寺恵○・(?~1
     600)・への密書で文面から天正七年正月九日付のも
     のと推定される。
     前年晩秋に信長家臣の摂津伊丹城主・荒木摂津守村重が
     寝返ったことを巻き返しの好機とみて、毛利輝元に対し
     信長打倒への決起と武装上洛をけしかけている。
     文中の・「公儀」・は、毛利氏にかくまわれている将く
     ずれの足利義明を指している。

 ◆45・織田信長・黒印状。

     ★「天正10年3月25日付・久我大納言宛」。

 ◆46・安土城図。

 ◆47・金箔押唐草文軒平瓦片。
              ・安土城跡出土。

 ◆他・・・・・。

●「天下人秀吉」・・・●

 ◆48・木下藤吉郎・等・織田家奉行衆・四名連署状。

     ★「永禄13年3月22日付・大住庄久三ヶ村名主御
       百姓中宛」。

 ◆49・木下藤吉郎・下知状・・・

     ★「天正2年6月8日付・下八木地人中宛」。

 ◆50・羽柴秀吉・書状。

     ★「天正7年2月23日付・□居安芸守宛」。

 ◆51・徳川家康・書状。

     ★「天正10年6月14日付・吉村又吉郎宛」。

 ◆52・総見院殿追善記。

     ★「天正10年10月25日付」・(巻頭・末尾)。

 ◆53・明智光秀・自筆書状。

     ★「年未詳・12月24日・岡本主馬助等四名宛」。

   ★明智光秀は文武両道に優れていたといわれ、自筆の手紙
     も達筆である。
     内容は、何らかの事情で、主家細川氏のもとを離れてい
     る有吉平吉・(細川藤孝の臣・有吉立言の子)・の境遇
     に関するもので、かねてから平吉のよい評判を聞いてい
     た光秀が、彼の面倒を見てくれた岡本氏に対して満足の
     気持ちを表し、平吉の細川家への帰参について藤孝を説
     得したいと申し送っている。
     光秀と藤孝は光秀の三女が藤孝の長男・忠興の妻・(ガ
     ラシャ夫人)・という縁戚関係にあり、親密な間柄であ
     った。
     なお、本状は月日のみしか記されていないが、光秀の日
     向守叙任が天正三年、光秀が山崎合戦で秀吉に破れ討ち
     取られたのが天正十年六月なので、出された時期は天正
     三年から九年までにしぼられる。

 ◆54・賤ヶ岳合戦図屏風・(右隻・左隻)。

     ★右隻・賤ヶ岳七本槍部分。

     ★右隻・秀吉本陣部分。

 ◆55・賤ヶ岳合戦図屏風・(右隻・左隻)。

 ◆56・柴田勝家・書状。

     ★「天正11年閏正月29日付・□賀守宛」。

 ◆57・大身槍・銘・「延次」。
              ・堀尾吉晴・所用。
              ・大阪・西本家。

 ◆58・縹糸下散紅威胴丸。
              ・秀吉より脇阪安冶拝領。

 ◆59・惣黒熊毛植具足。
              ・伝・片桐且元・所用。
              ・大阪市立美術館。

     ★秀吉の家臣で賤ヶ岳七本槍の一人・のちの秀吉も後
       見となった片桐元且の遺品と伝えられる鎧である。
       兜から脛当までにいたるまで完備した二枚胴具足だ
       が・すべてに月輪熊の毛を植え込んだ異様奇抜なデ
       ザインは類例がほとんどない。
       戦国~桃山時代には・一騎当千の強者どもが伝統に
       とらわれぬ斬新大胆なデザインを競い合い・個性的
       な甲冑を数多く残した。
       本品もその一つである。

 ◆61・色々尉二枚胴具足。

 ◆62・色々尉二枚胴具足・(個人)。

 ◆63・豊臣秀吉・朱印状。

     ★「天正14年2月23日付・加藤左馬助宛」。

 ◆64・豊臣秀吉・朱印状。

     ★「文禄5年10月20日付・石田備前守宛」。

 ◆65・豊臣秀吉・朱印状。

     ★「慶長3年5月17日付・宮部兵部少輔宛」。

 ◆66・大坂城図屏風。
              ・東京・川上家。

     ★大坂城天城部分。

 ◆67・金箔押菊文大飾瓦(大坂城址出土)。

 ◆68・金箔押三巴文軒丸瓦(大坂城址出土)。

 ◆69・小牧長久手合戦図屏風。

 ◆71・織田信雄・書状。

     ★「天正12年卯月11日付・吉村又吉郎宛」。

 ◆72・徳川家康・書状。

     ★「天正12年卯月10日付・吉村又吉郎宛」。

 ◆73・織田信雄・書状。

     ★「天正12年5月13日付・吉村又吉郎・寺西忠左
       衛門宛」。

 ◆75・大身笹穂槍・銘・「正利」。
              ・(丹羽氏次所用)。
              ・大阪・丹羽家。

 ◆74・錆塗萌黄糸威二枚胴具足。・(丹羽氏次所用)
              ・大阪・丹羽家。

 ◆77・三葉葵陣羽織・(家康より丹羽氏次拝領)。
              ・大阪・丹羽家。

 ◆76・丸龍透鉄鐔・(家康より丹羽氏次拝領)。
              ・大阪・丹羽家。

 ◆78・三葉葵紋小袖・(家康より丹羽氏次拝領。
              ・大阪・丹羽家。

 ◆80・池田恒興・画像。

 ◆79・羽柴秀吉・小牧長久手合戦陣立書。
              ・天正12年。

 ◆82・羽柴秀吉・密書。

     ★「天正12年8月18日付・上杉弾正少弼宛」。
              ・新潟・土田家。

 ◆82・羽柴秀吉・朱印状。

     ★「天正13年5月8日付・玉置宛」。

 ◆83・豊臣秀吉・九州攻め陣立書。

     ★「天正15年3月25日付・宛所欠」。
              ・大阪・銀山寺。

 ◆84・馬藺後立付兜・(模)。

 ◆85・桐文蒔絵軍配。

 ◆87・豊臣秀吉・朱印状。

     ★「天正16年閏5月14日付・東郷侍従宛」。

 ◆88・豊臣秀吉・朱印状。

     ★「天正18年卯月6日付・遍照心院宛」。

 ◆89・豊臣秀吉・朱印状。

     ★「天正18年7月6日付・神戸二位法印宛」。

 ◆90・北条氏直・朱印状。

     ★「天正18年3月5日付・宇津木兵庫助宛」。

 ◆91・豊臣秀吉・朱印状。

     ★「天正18年10月7日付・浅野弾正少弼宛」。

 ◆92・豊臣秀吉・朱印刀狩条目。

     ★「天正16年7月8日付・宛所欠」。

 ◆93・阿波国名西群高磯村検地帳。

     ★「天正17年10月17日付(個人)」。

 ◆94・豊臣秀吉・朱印状。

     ★「天正14年10月22日付・田中八右衛門尉宛」。

 ◆95・聚楽第図。

 ◆96・聚楽行幸図。

     ★「天正16年5月吉日付」。

 ◆98・後陽成天皇自筆和歌色紙。

 ◆99・御召緒太。
              ・大阪・銀山寺。

 ◆他・・・・・。

●「太閤記の世界」・・・●

 ◆99・「太閤記」・(正保三年版)。

 ◆100・「ゑ入太閤記」・(宝永七年版)。

 ◆101・錦絵・清州城普請の図・(一勇斎国芳画)。

 ◆102・錦絵・水攻防戦之図・(一猛斎芳虎画)。

 ◆103・錦絵・内大臣平重盛幼君補佐之図・(一恵斎芳幾画)。

 ◆104・豊臣秀吉・画像。
              ・大阪城・天守閣。

 ◆105・豊臣秀吉・画像・(竹渓筆)。

 ◆106・豊臣秀吉・画像・(法橋玉山筆)。

 ◆他・・・・・。

●「秀吉の一族」・・・●

 ◆107・豊臣秀吉・自筆書状。

     ★「天正18年・まんどころ宛」。

 ◆108・豊臣秀長・書状。

     ★「天正18年4月18日付・施楽院宛」。

 ◆109・豊臣秀次・朱印願文。

     ★「天正20年7月14日付・宛所欠」。

 ◆110・豊臣秀吉・自筆書状。

     ★「文禄2年3月5日付・称宛」。

 ◆111・北政所・自筆書状。

     ★「年月未詳・8日付・木下ゑもんの田大夫宛」。

 ◆112・羽柴秀勝・禁制。

     ★「天正10年6月□日付・多賀社中井町宛」。

 ◆113・豊臣秀保・書状。

     ★「文禄3年カ・卯月5日付・藤堂佐渡守宛」。

 ◆104・豊臣秀吉・朱印状。

     ★「天正20年10月2日付・丹波中納言宛」。

 ◆105・豊臣秀吉・朱印状。

     ★「慶長3年正月17日付・筑前中納言宛」。

 ◆106・豊臣秀吉・自筆書状。

     ★「文禄2年11月1日付・五もじ宛」。
              ・高知・百々家。

 ◆107・豊臣秀吉・自筆書状。

     ★「年月未詳・14日付・にしのまる・五もじ宛」。

 ◆108・豊臣秀吉・自筆書状。

     ★「年月未詳・22日付・ひがし・きやく人宛」。

 ◆119・木下家定・書状。

     ★「年未詳・7月25日付・十妙院僧正宛」。

 ◆120・浅野長政知行目録。

     ★「文禄5年10月21日付・宛所欠」。

 ◆他・・・・・。


●●『第二部』・・・●●

―”太閤秀吉と桃山文化”―


●「南蛮文化」・・・●

 ◆121・大阪府指定有形文化財・南蛮屏風。
              ・(右隻・左隻)。

 ◆122・花樹蒔絵螺鈿洋櫃。

 ◆123・草花蒔絵螺鈿箪笥。

 ◆124・草花蒔絵螺鈿洋櫃。

 ◆125・瀬戸内海・西海航路図屏風。
              ・(右隻・左隻)。

 ◆126・徳川家康・渡海朱印状。

     ★「慶長17年8月8日付・るいす宛」。
              ・大阪・本受寺。

 ◆130・南蛮船鐔。

 ◆131・細川三斎ローマ字印書状。

     ★「年未詳・卯月27日付・牧左馬允宛」。

 ◆127・金銀象嵌南蛮兜。
            ・伝・家康より加藤嘉明拝領。

     ★ヨーロッパ人がかぶる帽子の形を模して作られたい
       わゆる唐人笠形兜の一種で、徳川家康所用・加藤嘉
       明拝領と伝える。
       兜鉢表面には漢字や・竜・星などの模様が金銀で象
       嵌されているほか、半部側面には竜文が透かし彫り
       されている。
       しころは一段のみ残り、吹返しにはヨーロッパから
       輸入された金唐革が張られている。
       類品中、もっとも精緻で入念な作品である。

 ◆128・カルサン。
              ・丹羽氏次・所用。
              ・大阪・丹羽家。

 ◆129・富士御神火文黒黄羅紗陣羽織。
              ・伝・豊臣秀吉・所用.

 ◆他・・・・・。

●「茶人の書と肖像」・・・●

 ◆132・千利休・画像。

 ◆133・千利休・自筆書状。

     ★「天正15年9月15日付・千宗巴宛」。

   ★天正十年十一月から秀吉に仕えた、千宗易・(利休)・
     は、秀吉の主催により数千人の風流人を集め開催された
     同十五年十月の北野大茶湯に深くかかわった。
     本状は、まさにその北野大茶湯に際し堺衆に参加の指示
     を与えたもので・「貴賤を選ばず、数寄つかまつり候の
     ほど者まかり出候」・との秀吉の意向が伝えられている。
     当初十日間をよていしていた、この茶会は突如一日で取
     りやめになったが、その規模と趣旨ゆえに歴史に名をと
     どめた。

 ◆134・千利休・自筆書状。

     ★「天正16年菊月22日付・伊勢従事宛」。

   ★「伊勢従事」・すなわち伊勢・松ケ谷城主・蒲生氏郷に
     宛てた、千利休の自筆の手紙。
     天正十六年九月二十二日付。
     氏郷は信長の娘婿にあたり、長篠合戦をはじめとする幾
     多の戦いで名を馳せた戦歴の戦国武将として著名である
     が一方では・「利休七哲」・の一人に数えられる当代き
     っての茶人でもあった。
     本状で利休は、秀吉の伴天連追放令に連座した、利休七
     哲の一人。
     高山右近が、昨日無事に前田家に引き取られ、金沢に下
     向したことを伝え、また氏郷が新たにみずからの居城と
     して築いた松坂城の完成を祝うなどとしている。

 ◆135・千利休・自筆書状。

     ★「天正9年卯月1日付・市勘□衛尉宛」。

   ★侘び茶の大成者千利休の現存最長文の手紙。
     本文第八条に、昨日・(三月)・二十九日に清水寺で
     羽柴藤吉郎秀吉が能を催したと記されていることから、
     本状が天正九年・(1581)・四月一日付のものであ
     ることがわかる。
     第一条目は前年落城した大坂・石山本願寺伝来の釜・「
     霙の姥口」・が売りの出された件についての照会に対す
     る回答で良い品だから銀百貫文ほどで買いとるべきだ、
     見逃してはいけないと述べ、利休の面目躍如たるところ
     がある。
     第四条目では・「日向殿」・すなわち明智光秀と最近疎
     遠になっていることを嘆き、一方・第五・八条目では・
     「藤吉郎殿」・すなわち秀吉との親近な関係がうかがえ
     て興味深い。
     本状の宛名については・「平勘兵衛尉」・と読んで・「
     平野の勘兵衛尉」・こと摂津国平野庄の代官末吉勘兵衛
     尉利方にあてる説が有力である。

 ◆137・古田織部・画像。

 ◆138・古田織部・自筆書状。

     ★「慶長9年カ・8月22日付・賀左馬宛」。

   ★織部流茶道の開祖として著名な、古田織部の自筆書状。
     水軍の将として挑戦出陣中の加藤左馬助嘉明に宛てて、
     嘉明の軍功を賀し在陣の苦労をねぎらっている。
     文中、嘉明からの勝報に接した秀吉の喜ぶ様子を知らせ
     るとともに、明軍の参戦があればみずから挑戦に出せ陣
     するとの秀吉の言葉を伝え、秀吉へのさらなる戦場報告
     を求めるなど、本状は秀吉のそば近く仕えていた時期の
     織部の動向を伝える数少ない資料世である。

 ◆139・細川三斎・画像。

 ◆140・織田有楽斎・書状。

     ★「年未詳・6月24日付・安藤帯刀宛」。

   ★織田有楽斎は信長の末弟。
     晩年剃髪して如庵有楽斎と号し、茶道に秀でていたた
     め茶人有楽斎でとおっている。
     本能寺の変後、秀吉に属し、後年、御伽衆として秀吉に
     近侍した。
     関ケ原合戦では徳川方に従い、功により大和山辺郡に3
     万石を得る。
     その後、大坂城にあって秀頼を助け、東西の間の潤滑油
     的役割を果たしたが、夏の陣には城を出て京都東山に籠
     居茶の湯とともに余生を送った。
     東京の有楽町は、かつて彼が家康に招かれて住んだ邸の
     名残りという。
     本状は、紀州徳川家の初代頼宣に国元の名産大和瓜を送
     った時のもので、宛先の安藤帯刀・(直次)・は家康の
     側近として活躍し、紀州藩の付家老となった人物。

 ◆141・芦屋釜。

     ★永正元年2月 日・(個人)。

 ◆136・蒲生氏郷・知行宛行状。

     ★「天正12年10月16日付・宛所欠」。

 ◆142・小堀遠州・自筆書状。

     ★「年未詳・7月10日付・□宛」。

   ★茶道遠州流の祖師として知れれる小堀遠州こと小堀政一
     ・(1579~1647)・は、はじめ豊臣秀長・つい
     で秀吉・家康に仕えた武将で、徳川初期の伏見奉行を長
     年務めたほか、仙洞御所・徳川再築大坂城・二条城・江
     戸城などの作事奉行を歴任。
     建築・造園にすぐれた才能を発揮した。
     遠州独特の筆致をうかがわせる本書状は、前日朝に受け
     とった手紙に対する返書で、ちょうど他所へ出かけてい
     たため夜更けになってから拝見することとなり、返事が
     遅くなってしまい申し訳ないと詫びている。

 ◆他・・・・・。

●「蒔絵・調度品」・・・●

 ◆144・秋草文蒔絵硯箱。
              ・秀吉より五嶋玄雅・拝領。

 ◆152・鳳凰蒔絵矢筒。

 ◆151・鳳凰蒔絵刀筒。

 ◆他・・・・・。

●「桃山時代の武器・武具」・・・●

 ◆154・猿喉捕月図蒔絵胴。

 ◆155・天衝脇立付黒塗頭形兜。

     ★見る者に異様な印象を与える巨大な天衝形脇立は、
       高さ1メートル近くを有する薄い木板に金箔を押し
       つけてつくられている。
       室町末から桃山時代にかけて、奇抜さや巨大さで目
       を引くさまざまな兜が流行したが、本品もそうした
       ・変わり兜」・の一例である。

 ◆157・カルタ鉄鎖腹巻。

 ◆156・金札紫糸威二枚胴具足。

     ★金札を紫糸で威したきらびやかな当世具足。
       小札や板札に金箔を押す金札は室町末期から桃山時
       代にかけてよく用いられるようになったが・本品は
       江戸時代初期の遺品。
       兜の吹返し・胸板・脇板など各所に着用者の家紋と
       思われる輪宝紋が据えられている。

 ◆159・鉄錆地桃形兜。

     ★鉢を桃の実に打ち出した桃形兜は室町末期以降・桃
       山時代に流行した変わり兜の中でももっともポピュ
       ラーなもので、上級武将から下級兵卒まで広く愛用
       された。
       同時代のヨーロッパ兜にも類似のタイオプがあり、
       鉢の中央前後に立てられた鎬は鉄砲の弾丸の衝撃を
       それすもに役立ったものかと考えられている。
       本品には銅板金鍍金の三日月形前立と、鳥居紋の吹
       返しのついた紺糸素懸威しの四段板しころが付属す
       るがこれらも兜鉢製作当初からのものとみてよかろ
       う。桃山時代。

 ◆158・二十三間総覆輪阿古陀形筋兜。

 ◆160・菖蒲脇立付烏帽子形兜。

 ◆161・黒塗一の谷張懸兜。

     ★源平合戦で著名な一の谷古戦場の険しい断崖をかた
       どった変わり兜。
       頭形の鉄製兜鉢の上に洗い麻布を何枚も漆で塗り固
       めて次第に・”一の谷”・の形をつくりあげてゆき、
       最後は黒漆を塗って仕上げてある。
       兜正面の弾痕が戦場の生々しさを今日に伝える。

 ◆162・紺糸素懸威伊予札胴丸。
              ・(織田有楽斎所用)。

 ◆163・金小札緋縅喉輪。
              ・(伝・豊臣秀頼・所用)。

     ★喉輪は胸元から喉あたりを保護する防具。
       本品は豊臣秀頼所用と伝えられる桃山時代の高級品。

 ◆164・鉄錆地鳶鼻面頬。

     ★デザインにさまざまな工夫をこらす変わり兜の流行
       とともに、奇抜な面具も出現した。
       本品は江戸時代中期頃の作だが、同じ流れを汲むも
       ので、鋭い鳶鼻が見るものを威嚇する。
       鼻の部分は蝶番付けとなっており、開閉が可能。

 ◆162・紺糸素懸威伊予札胴丸。
              ・(織田有楽斎・所用)。

 ◆165・軍配団扇・銘・「陸奥守包保」。

 ◆166・諸将旌旗図。

 ◆168・大火縄銃・銘・榎並屋勘左衛門・「大てんぐ」。

    ★慶長年間・(1596~1615)・に堺の鉄砲鍛治
      ・榎並屋勘左衛門が製造した大火縄銃。
      全長はニメートルを越す。
      このように長大な銃は地べたにすわり、銃身を固定て
      発射した。

 ◆169・稲富流鉄砲秘伝書。

 ◆他・・・・・。

●「朝鮮出兵」・・・●

 ◆170・豊臣秀吉・朱印状。
              ・(高麗国宛)。

 ◆171・豊臣秀吉・朱印状。
              ・(堺南北十六ヶ寺宛)。

 ◆172・豊臣秀吉・朱印状。
              ・(脇坂中務少輔等三名宛)。

 ◆173・九鬼大隅守船柵之図。

 ◆174・絹地赤紺染分三巴紋幟。
              ・(九鬼嘉隆・所用)。
              ・和歌山・九鬼家。

 ◆175・白絹地紺三引両軍旗・(九鬼嘉隆・所用)
              ・和歌山・九鬼家。

 ◆176・豊臣秀吉・朱印状・(九鬼大隅守宛)。

 ◆178・帷子。
              ・秀吉より井上弥一郎・拝領。

 ◆177・加藤重次・書状。
              ・(安田弥市良宛)。

 ◆179・豊臣秀吉・朱印慶長の役軍令状。
              ・(羽柴筑前中納言宛)。

 ◆180・豊臣秀吉・慶長の役陣立書。

 ◆181・早川長政・等・三名連署状。
              ・(鍋島信濃守宛)。

 ◆182・豊臣氏五大老連署状。
              ・(脇坂中務少輔宛)。

 ◆他・・・・・。


●●『第三部』・・・●●

―”豊臣秀頼と大坂の陣”―

●「秀吉の死」・・・●

 ◆186・豊臣秀吉・木像。

 ◆183・豊臣氏五奉行連署状。
              ・(石川紀伊守宛)。

 ◆184・豊臣氏五奉行連署状。
              ・(分部左京宛)。

 ◆185・豊臣秀吉・自筆辞世和歌読草。

 ◆187・豊臣秀吉・画像。
              ・大阪市立美術館。

 ◆188・豊臣秀吉・画像。
              ・大阪・豊国神社。

 ◆189・豊臣秀吉・画像(伝・狩野光信筆)。

 ◆190・豊臣秀吉・画像(高流寺伝来)。

 ◆191・豊臣秀吉自筆・神号・「豊国大明神」。

 ◆他・・・。

●「関ヶ原の合戦」・・・●

  ◆193・「石田三成」・画像。

  ◆194・石田三成・自筆・書状。
              ・(大新介宛)。

  ◆199・五の字四半旗。

  ◆200・小早川秀明・自筆・書状。
              ・(新門主宛)。

  ◆202・伊達政宗・自筆・書状。
              ・(宗薫宛)。

  ◆他・・・。

●「天下人二人」・・・●

  ◆209・石田三成・自筆・書状。
              ・(置安斎宛)。

  ◆216・豊臣秀吉・自筆・書状。
              ・(中なごん宛)。

  ◆220・豊臣秀吉・黒印状。
              ・(中なごん宛所欠)。

  ◆221・加藤清正・書状。
              ・(竹豆州宛)。

  ◆224・織田信雄・書状。
              ・(吉村橘左衛門尉宛)。

  ◆他・・・。

●「大坂の陣」・・・●

  ◆226・「洛中洛外図」・屏風。
              ・左隻・右隻。

  ◆231・「大坂夏の陣図」・屏風。
              ・重要文化財。
              ・左隻・右隻。

  ◆233・鉄二枚胴具足。

  ◆241・火縄銃・銘・「トコナツ」。
              ・田付兵庫助宗鉄入道。
              ・奈良・吉村家。

  ◆243・朱采配。

  ◆他・・・。


●●『終章』・・・●●

―”大坂城再築”―

  ◆254・「大阪市街図」・屏風。
              ・京都・林家。

  ◆他・・・。



■■「資料解説」・・・■■



■■「出品目録」・・・■■



■■「大坂城のあゆみ」・・・■■

**”宮本裕次・(大阪城天守閣学芸員)”**

 ●一・石山本願寺時代。

 ●二・豊臣秀吉の大阪城。

 ●三・徳川時代の大阪城。

 ●四・明治以降の大阪城。



■■「大坂城のあゆみ・年表」・・・■■



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●状態はすべて点検済ですが、
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●見解の相違も御座います。
●御了承・御理解の上・入札下さい。

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●落札金額に関わらず同一の包装とさせて頂きます。

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●落札日より7日以内に必ず決算下さい。
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●いかなる場合でも決済後に発送致します。
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