【壽】梅木修一 内裏雛 蔵王高湯系こけし 木地玩具 郷土玩具 木彫人形 民芸品 木工玩具 の商品情報

過去3ヶ月の「 民芸品 郷土玩具 」の統計データ情報

「民芸品 郷土玩具」 に関する落札商品は全部で 1,529 件あります。

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最高落札価格

148,000 円

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1 円

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【壽】梅木修一 内裏雛 蔵王高湯系こけし 木地玩具 郷土玩具 木彫人形 民芸品 木工玩具  の落札情報

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  • 落札価格:
    5,850
    入札件数:
    21入札履歴
  • サイト
    ヤフオク!
    残り時間
    終了
  • 開始価格
    700円
    入札単位
    250円
  • 数量
    1個
    商品状態
    目立った傷や汚れなし
  • 開始日時
    2022年7月10日 2時0分
    終了日時
    2022年7月15日 22時55分
  • オークションID
    r1057085160この商品をヤフオク!で見る

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商品説明

少し昔に作られました、梅木修一作の『内裏雛』です。
高さ6.7㎝、幅7.3㎝、重量61gで、無疵です。
底に「梅木修一」のサインがあります。

■定型外(事故補償なし)発送は220円です。
レターパックプラス(記録付き)は520円、
クロネコは、長崎県発60サイズです。

●お取引情報は、どのようなご予定であっても即日ご入力下さい。
お取り置きの場合は、その都度ご決済下さい。
7日以上のお取り置きは規約により禁止されています。

●本文に記載以上の情報はありません。
ご質問は終了前にすべてご完了下さい。
「評価のご辞退」は、ご落札直後にお申し付け下さい。

●誠心誠意●
到着時に、万が一、商品に問題点がございましたら、
反射的な悪評価ではなく、普通にご連絡下さいませ。
必ず、何を置いてもすぐに対応致します。


◆【こけしウィキより引用、誠に恐れ入ります】↓

梅木修一(うめきしゅういち:1929~)
系統:蔵王高湯系
師匠:金山文太郎

〔人物〕 昭和4年3月18日、商業梅木金次郎三男として山形市内宮町横丁に生まれた。
昭和18年3月男子国民学校を卒業後上京し、東京府中の日本製鋼武蔵野製作所に入所、終戦まで働いた。
戦後山形に戻ると、母の姉の夫にあたる叔父金山文太郎に招かれ、弟子入りして木地の修業を始めた。
この頃は車のロクロや机、椅子の脚、警棒、盆、茶櫃等の日用雑器を挽き、こけしは作らなかった。
金山の仕事を3年余続けたが、次第に景気が悪くなり、やむなくハッピーミシン木工部に転職を考えていたところ、
山形県西置賜郡白鷹町鮎貝の金子伊助という人から勧誘があった。金子伊助は元車大工であったが、
そのころは鮎貝で製材や木工建具を扱う木工所を経営していて、その職人を探していた。
修一はせっかく身に着けた技術を生かせるならと、昭和24年4月鮎貝に移り、金子伊助の木工所の職人となった。
木工所にはほかに7人程の職人がいたが、ここで修一は新型こけしの木地を専門に挽いた。鮎貝は朝日連峰の登山口に当たり、
土産物としての新型こけしの需要があった。描彩はもっぱら土地の婦人たちが行った。
ただ注文に追い付かず修一が描彩することもあった。このとき筒井良吉に木地の指導を行なった。
新型こけしを作るうちに、自分も独立してやってみたいという気持ちが強くなり、金子伊助の許しを得て、
昭和30年春に山形に戻って市内鍛冶町で独立開業した。新型が主体であったが旧型こけし作りたいという気持ちが強く、
旧型こけし試作を繰り返した。昭和32年1月に市内泉町に工場を建てて移り、木地業を継続した。
この時の弟子に高橋喜代司がいる。
昭和51年に山形のしばたはじめの勧めにより、岡崎長次郎の型を復元した。
長次郎の遺族からも了承を得た。昭和53年9月より名古屋こけし会が鈴木鼓堂会長蔵品を中心に
梅木修一に継続的な長次郎型復元頒布を企画した。これに続いて伊勢こけし会は昭和54年2月から同様の企画で長次郎型の頒布を開始し、
この企画は昭和55年末まで続いた。
名古屋こけし会頒布は複数の組み合わせで第12回まで継続され、
おもな岡崎長次郎はその大部分が修一によって復元されたことになる。頒布の記録、および解説は箕輪新一により
〈木でこ・115号〉(昭和58年1月)にまとめられている。また同様の解説は箕輪新一により〈伊勢こけし会だより〉においても連載された。
この一連のシリーズとしての復元は、梅木修一が蔵王高湯のこけしの本質を具体的に把握する契機となり、それが修一の大きな財産にもなった。
以後独自のバリエーションや組み合わせで蔵王高湯のこけしの製作を続けたが、
作品に破綻は生じることはなく、蔵王高湯の重要な作者として地位を確立させた。

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