図録本茶道美術 茶杓 カラー写真解説千利休武野紹鴎古田織部小堀遠州共筒花押名物箱書表千家裏千家武者小路千家薮内流宗流遠州流草人木書苑の商品情報

過去3ヶ月の「 小堀遠州 千家裏千家武者小路千家薮内流宗流遠州流草人木書苑 」の統計データ情報

「小堀遠州 千家裏千家武者小路千家薮内流宗流遠州流草人木書苑」 に関する落札商品は全部で 1 件あります。

平均落札価格

8,500 円

最高落札価格

8,500 円

最低落札価格

8,500 円

※ 下記の件数、または棒グラフをクリックする事で、価格帯を指定した検索が行えます。細かい仕様に関しては下記の更新情報をご参照下さい。
分析機能について

対象オークション 「図録本茶道美術 茶杓 カラー写真解説千利休武野紹鴎古田織部小堀遠州共筒花押名物箱書表千家裏千家武者小路千家薮内流宗流遠州流草人木書苑」 は 「小堀遠州 千家裏千家武者小路千家薮内流宗流遠州流草人木書苑」 を含む落札商品の中で、全1件中およそ 1 番目に高額です。

「小堀遠州 千家裏千家武者小路千家薮内流宗流遠州流草人木書苑」 を含んだ関連性が高いと思われる落札商品

「小堀遠州 千家裏千家武者小路千家薮内流宗流遠州流草人木書苑」 に関する落札商品をもっと見る

過去3ヶ月の「 千家裏千家武者小路千家薮内流宗流遠州流草人木書苑 」の統計データ情報

「千家裏千家武者小路千家薮内流宗流遠州流草人木書苑」 に関する落札商品は全部で 2 件あります。

平均落札価格

8,240 円

最高落札価格

8,500 円

最低落札価格

7,980 円

※ 下記の件数、または棒グラフをクリックする事で、価格帯を指定した検索が行えます。細かい仕様に関しては下記の更新情報をご参照下さい。
分析機能について

対象オークション 「図録本茶道美術 茶杓 カラー写真解説千利休武野紹鴎古田織部小堀遠州共筒花押名物箱書表千家裏千家武者小路千家薮内流宗流遠州流草人木書苑」 は 「千家裏千家武者小路千家薮内流宗流遠州流草人木書苑」 を含む落札商品の中で、全2件中およそ 2 番目に高額です。

「千家裏千家武者小路千家薮内流宗流遠州流草人木書苑」 を含んだ関連性が高いと思われる落札商品

「千家裏千家武者小路千家薮内流宗流遠州流草人木書苑」 に関する落札商品をもっと見る

図録本茶道美術 茶杓 カラー写真解説千利休武野紹鴎古田織部小堀遠州共筒花押名物箱書表千家裏千家武者小路千家薮内流宗流遠州流草人木書苑 の落札情報

図録本茶道美術 茶杓 カラー写真解説千利休武野紹鴎古田織部小堀遠州共筒花押名物箱書表千家裏千家武者小路千家薮内流宗流遠州流草人木書苑の1番目の画像
  • 落札価格:
    8,500
    入札件数:
    1入札履歴
  • サイト
    ヤフオク!
    残り時間
    終了
  • 開始価格
    8,500円
    入札単位
    250円
  • 数量
    1個
    商品状態
    やや傷や汚れあり
  • 開始日時
    2024年4月4日 22時21分
    終了日時
    2024年4月5日 9時50分
  • オークションID
    d1122230804この商品をヤフオク!で見る

商品画像

  • 図録本茶道美術 茶杓 カラー写真解説千利休武野紹鴎古田織部小堀遠州共筒花押名物箱書表千家裏千家武者小路千家薮内流宗流遠州流草人木書苑の1番目の画像
  • 図録本茶道美術 茶杓 カラー写真解説千利休武野紹鴎古田織部小堀遠州共筒花押名物箱書表千家裏千家武者小路千家薮内流宗流遠州流草人木書苑の2番目の画像
  • 図録本茶道美術 茶杓 カラー写真解説千利休武野紹鴎古田織部小堀遠州共筒花押名物箱書表千家裏千家武者小路千家薮内流宗流遠州流草人木書苑の3番目の画像

商品説明

ご覧下さりありがとうございます。画像の後に、商品説明がございます。

本の出品です。


【即決】ご入札いただければすぐにお取引が成立します。

希少図録本 茶杓 草人木書苑 茶道美術 写真解説  

監修
 千宗室 裏千家 家元
顧問
 千宗左 表千家 家元
 千宗守 武者小路千家 家元
 藪内紹智 藪内流 家元
 小堀宗慶 遠州茶道 宗家 遠州流
 山田宗偏 宗偏流 家元
淡交社
1982年 初版
金箔押し布張り上製本 
作品写真図版フルカラー
解説写真図版モノクロ
30.5x21.6x2.5cm
215ページ
定価記載なし


※絶版


日本の茶道六大流派の各家元・宗家が監修した、
重要文化財、名物、大名物、中興名物はじめ、茶道美術の正真正銘・本物の中の本物・最高峰の
茶道具ばかりを集めたフルカラー写真図録本全集「草人木書苑」のうちの一冊。

本書は 茶杓 80点。
写真図版は実物大に近いカラー写真で、実際にそれぞれの道具を手にとって拝見するような感覚で楽しめる上、
箱書きや添状など付属物、略伝、茶杓、筒、伝来、寸法、古文書などの所載、道具の見どころや由緒など詳細に解説したもの。
主なものは茶杓側面写真、内箱、箱蓋裏、替筒、花押の拡大写真なども収載。
内容充実の、茶道・骨董品・茶道具・日本美術・東洋美術など愛好家必携、大変貴重な資料本です。


【刊行のことば 千宗室】全集全体の序文
日本の茶道は、その成立の初期から今日まで、綜合的な文化体系として、日本人の生活文化の基調としての役目をはたしつづけている。
日本人固有の審美的な美意識から、茶室・茶庭といった建築空間の構成、各種道具の生活工芸としての造型、点前作法に見る坐作進退の姿勢、懐石を中心とした飲食の意匠性まで、日本人の生活基盤のなかに、ふかく根ざして、伝統的なくらしとなって生きているのである。
ところで、この茶道の真髄を把握するためには、どうしても通らなければならない関門のあることを忘れてはならない。それは、茶道を構成する道具に対する知識と鑑賞眼の琢磨である。実は、茶道の極意は、この第一の関門を初歩としながらも、これを究極とするとも言われるものである。

 目利ニテ茶湯モ上手、数奇ノ師匠ヲシテ世ヲ渡ル(茶湯者卜云、一物モ不持、胸ノ覚悟一、作分一、手柄一、此三箇条ノ調タルヲ侘数奇卜云々 唐物所持、目利モ茶湯モ上手、此三箇モ調ヒ、一道二志深キハ名人卜云也

と『山上宗二記』にあるように、茶道具の鑑賞が、古来、如何に重視されていたかがわかる。だから、今日の茶道を、文化遺産として考えるとき、精神文化さえもが、道具を中心とした造型遺産に内包されると考えてもよいのである。
このたび『茶道美術全集』の刊行を企図した。それは、茶道の造型遺産をとおして、茶道の美の真実を体系化することにある。
幸いにして、多くの読者諸賢とともに、美の宝庫の中に遊ぶよろこびをわかちあい、明日への茶道人の歩みの資たらしめんとねがうのである。


【原色図版】
村田珠光 宗旦筒 銘 茶瓢
足利義政 追筒 銘 笹葉
武野紹鴎 共筒 一閑彫名
武野紹鴎 共筒
北向道陳 共筒
津田宗及 共筒
津田宗及 共筒
南都窓栖 彫名 筒 道億
羽淵宗印 共筒
今井宗久 共筒銘 芦
春屋宗園 共筒
千利休 迫筒 織部 銘 泪
千利休 共筒 天正二年春
千利休 共筒 寺次参
千利休 共筒 ヤハラ道怡
干利休 共筒 銘 からさき
千利休 共筒 両口
千利休 共筒 銘 ホトトギス
千少庵 共筒 銘 矢瀬
千少庵 共筒 銘 ちりふね
千道安 共筒 銘 むらさめ
千道安 共筒
千道安 共筒迫 銘 眠山
千道安 追筒 片桐石州
木下長嘯子 共筒 小遠州様
細川三斎 共筒
織田有楽 共筒
慶首座 利休ヘギ箱
瀬田掃部 追筒 覚々斎原麦
古田織部 共筒 銘 宗半様 一双入ノ内
古田織部 筒 遠州 一双入ノ内
古田織部 筒 宗不
蒲生氏郷 共筒
丿貫 共筒
妙喜庵功叔 共筒
加藤清正 共筒 銘 不老不死
佐久間将監 共筒 将の字
佐久間将監 共筒 さ将
沢庵宗彭 共筒 銘 釈迦
小堀遠州 共筒 歌銘 松島
小堀遠州 共筒 銘 有馬山
小堀遠州 共筒 銘 くせ舞
小堀遠州 共筒 銘 乱曲
小堀遠州 共筒 歌銘 青苔
小堀遠州 共筒 詩銘 吾友
小堀遠州 共筒 歌銘 玉緒
小堀遠州 共筒 銘 柏樹子
小堀遠州 共筒 歌銘 二見
小堀遠州 共筒 銘 糸桜
小堀遠州 共筒 歌銘 ともかくも
小堀遠州 共筒 銘 八兵衛
金森宗和 共筒 歌銘 白山
金森宗和 共筒 歌銘 雪似白雲
金森宗和 共筒 銘 阿ま小舟
清巌宗渭 共筒 銘 見色明心
船越伊予守 共筒 銘 白露
片桐石州 共筒 銘 有明
片桐石州 共筒 銘 五月雨
片桐石州 共筒 芳春大和尚拝上
松浦鎮信 共筒 和田織部殿
小堀権十郎 共筒 歌銘 白菊
千宗旦 共筒 銘 松風
千宗宗旦 共筒 歌銘 雪下折
千宗旦 共筒 銘 ふたりしつか
千宗旦 共筒 銘 瀑布
千宗旦 共筒 銘 初音
江岑宗左 共筒 銘 雪
仙叟宗室 共筒 銘 釣竿
一翁宗守 共筒
藤村庸軒 共筒 銘 はり替
杉木普斎 共筒 銘 亀
山田宗偏 共筒 銘 楊貴妃
閑翁宗拙 共筒 詩銘 
剣翁紹智 共筒 銘 ゆつりは
松平不昧 共筒 歌銘 三夕
松平不昧 共筒 銘 五月雨
常旻宗室 共筒 銘 隠居
覚々斎原叟 共筒 句銘 初しぐれ
村田一斎 共筒
川上不白 共筒 銘 玉兎

総説 高原杓庵
図版解説 高原杓庵 池田瓢阿
茶杓の名称


【総説より 一部紹介】
茶人の魂 高原杓庵
 わたくしが茶杓に関心をもちはじめたのは五十年のむかしとなった。この五十年間、終始茶杓と取りくみ、念頭つねに茶杓を離れなかった。
 この動機を考うるに、前人にして茶杓に関するまとまった研究に着手するもの、いまだ一人もなかったがため、処女地を開拓する好奇と、若年の野望がそうさせたことはいつわりない。
 さらにこの動機を突き進めてゆけば、何かゆえに茶杓がかくも茶人に尊ばれるかに疑いをもつか。
 いまいっそう現実的にこれが売買の対象となる場合、おおよそ生産価格を無視した不当な高値に取引きされる経済現象に、驚くというより腹立たしく思った。
 この疑い、この驚き、この腹立たしさから出発して、わたくしは茶杓に立ち向った。そうして五十年間視野をひろげ。能う限りの努力でもって茶杓を見た。同時に知ろうとつとめた。
 こうして茶杓へ情熱を傾けているうちに、竹材にすぎない一片の小器の中に、前代茶人の魂を見た。そうして、それが決して漫然たる即興作でないことを教えられた。
 すなわち、茶杓それぞれに製作者の個性を発見した。また茶道各流派により、定型あるを知った。さらに時代により、それぞれの感覚があり、類別あるをもって、時代鑑別の方法をさぐりあてた。であるから、これはこれで、学問的に体系づける責任を感じたのである。

何ゆえ茶杓は尊重されるのか
  一片の竹箆、世界中で、いちばん粗末な簡素な手工業である茶杓が、茶人の間では神器に近いほど貴重にされる。茶人以外の士には、これほど不可解な物はあるまい。
 この茶杓を大切にする理由には、茶道の精神的意味が多分に含まれていることを無視できない。
 その精神的意味とは何であるか。すなわち茶道精神の和・敬・清・寂の「敬」の精神から来ているからである。
 ずばりいって、先人敬慕の思想から茶杓が大切にされるのである。
 例えば利休の茶杓が貴重視されるのは、利休を敬慕のあまり、その手沢の存し、遠き昔の利休の体臭や肌に直接触れた物としての仮想感からであり、茶杓が尊重されても不思議とは思われない。
 利休を尊敬しない者には、利休の茶杓なんぞ、およそ無価値にひとしい物である。
 そこではじめて、利休に関心をもたない茶以外の世界の者には、茶杓は竹箆以上のなにものでもない。が、利休を敬慕する茶の世界の者にとっては、それは神器同然に貴重な物となる。
(後略)

【図版解説 より 一部紹介】
村田珠光 宗旦筒 銘 茶瓢
略伝 奈良の人。称名寺の僧にして若くして京に出、一休に参禅し、圜悟墨蹟を授けらる。足利義政に召されて茶道師範となるに及んで、六条堀川西に茶席を構え、義政も度々招いた。晩年は奈良に隠棲し二都で活躍した。文亀二年没、八十歳。
茶杓 唐物の象眼の茶杓を竹に移した形だとされている。煤竹を用いて瓢形に削り上げ、漆拭きがなされている。
筒 宗旦の時代に造られた追筒。煤竹に面取して〆印に「且」「珠光茶瓢(花押)」と宗旦書付は暢達の墨色である。
付属物 内箱 蓋裏 書付党々斎原叟筆「珠光茶瓢筒宗旦(花押)」
 外箱 桐薬籠蓋
 蓋裏 書付 一啜斎宗守筆「珠光作茶瓢 官休庵啜(花押)」
寸法 茶杓 長サー七・四cm
 幅〇・四~一・三cm
 長サー九・五cm
 径二・五cm
所蔵者 神戸香雪美術館
 (池田瓢阿)

武野紹鴎 共筒 一閖彫名 筒宗旦極書 中興名物
略伝 名は仲材、通称新五郎、文亀二(一五〇二)年奈良に生る。父は武田の遺孤、堺に住み、武具の皮革を業とす。大永五(一五二五)年上洛、和歌を三条西実隆に学び、享禄三(一五三〇)年従五位下因幡守に叙任す。茶は十四屋宗伍、宗陳に学ぶ。享禄五年剃髪、紹鴎と号し茶に専念す。天文十八(一五四九)年、四十八歳で堺南宗寺大林和尚より一閑の居士号を与えらる。京都の住居四条夷堂の隣に大黒庵を結ぶ。弘治改元(天文二十四年、一五五五年)閨十月二十九日没す、五十四歳。
茶杓 上半三は白、下半七は煤竹の変り竹。紹局茶杓の約束なる節止とは厳格にいえぬが、切止と節の間に「一閑」と彫る。紹鴎の手彫りと見られる。
筒 紹鴎時代の古作筒で、その時代の栓つめの痕を示す穴が両側に残っている。後世宗旦がこの古作筒を削って自らの口印と「一閑斎作 不審」と追書したこと必至で、墨付の濃いことも意味あることである。
付属物 内箱 桐白木 書付
 同蓋裏 書付 元伯宗旦筆
 外箱 桐白木 書付 覚々斎原叟筆
 同蓋裏 書付同筆
 添状 六閑斎宗安筆
 添状箱 書付 松平不昧筆
所載 雲州蔵帳 (紹鴎作宗旦書付 外箱原叟 冬木小平次 伏見屋十枚)
 千家名物記 (紹鴎茶杓 元伯筒 千宗安蔵)
 茶杓三百選
寸法 茶杓 長サニ〇・六cm
 幅〇・七五-一・〇五cm
 厚サ〇・二五cm
 筒 長サニ一・六cm
 径二・七cm
所蔵者 東京国立博物館
写真画像 
添状箱 書付 松平不昧筆
添状 
内箱桐白木書付
内箱蓋裏 桐 白木 書付 元伯宗旦筆
外箱 蓋表裏 書付 覚々斎原叟筆 一閑斎茶杓 筒共彫名宗旦 極 宗室状 宗室伝来 花押

千利休 追筒 織部 銘 泪 名物 尾州家伝来
略伝 祖父は足利家同朋田中千阿弥、これに因み千氏を名のる。宗易と称し抛筌斎と号す・茶は北向道陳、後に紹鴎に学ぶ。初め織田信長に仕え・信長死後、豊臣秀吉に仕え、三千石を賜う。天正十三(一五八五)年正親町帝に献茶して利休なる居士号を勅賜、天正十九(一五九一)年二月突如罰せられ、同二十九日切腹す。行年七十。あるいは六十九とも。
茶杓 利休茶杓のうちでも稀に見る静かな、つつましやかな形である。所伝では、利休最期に際し、信愛せる古田織部と細川三斎の二人にそれぞれ茶杓を与えた、その一杓のうちである。
筒 古川織部が利休死後、その形見なる師の茶杓を保存するためにできるかぎり荘厳さを加えるため、竹筒の内外を真塗にし、中央に方形の窓を明けた。この窓は、中なる杓を利休その人と想定し、師に面する心で朝夕礼拝した。
付属物 
 内箱 溜塗金粉文字書付「泪茶杓 利休作 古田織部所持」
 外箱 桐白木 書付「名物千利休作 御茶杓 銘 泪」
所載 古今名物類聚 茶杓三百選
追記 尾州徳川家に入った経路は、古川織部刑死の後、古田家家財一切は徳川幕府に没収され、後尾州徳川家に移ったという。
寸法 茶杓 長サ一七・二cm 幅〇・四1〇・八cm 厚サ○・三cm 
所蔵者 東京徳川黎明会(名古屋徳川美術館保管)
写真画像
 茶杓側面
 内箱 溜塗 金粉文字 書付

古田織部 共筒 銘 宗半様 一双入ノ内 前田家伝来
略伝 美濃土岐家の臣・左介と称し名を重然という。信長の美濃攻略に従い、信長死後、秀吉に仕え、歴戦功あり、天正十三(一五八五)年従五位下織部正に叙任、山城国西岡に三万五千石を領した。
 利休と茶の交渉はあったが、利休在世中は、茶人としては大した存在でなかった。利休死後は茶をもって秀吉に仕え、名人といわれた。
 関ヶ原役に東軍についてより、秀忠は織部を茶道師範とし、しばしば織部の茶会に列した。慶長十九(一六一四)年十月大坂冬の陣には東軍に属したが、翌元和元(一六一五)年夏の陣には大坂方に内通し、大坂落城の直後六月十一日に切腹した。年七十二歳。
茶杓 織部型といわれるほど個性が強く、利休・少庵・道安に共通した型をいっそう手強く、椛先長く、節裘強く刳って腰の高い形で。しかも竹質は光沢のさび竹が約束である。この杓には中節の上に虫喰があって、別銘「虫喰」といっているが、織部は奇を好んだせいか「虫喰」の茶杓が他に数々ある。
筒 書付は織部の豪快な字で「宗半様旨 古田織」とある。織部茶杓の一級品で、金沢ではやかましい物となっている。
付属物 31遠州筒の織部茶杓との一双入りの箱
追記 この茶杓の宛名の宗半とは中川宗伴のことで、前田利家の女婿で武蔵守と称す。利休直系の茶人で、宗伴肩衝の持主であった。
寸法 茶杓 長サ一八・一cm 幅〇・五~一・一cm 厚サ○・二五cm
筒 長サニ〇・九cm 径二・八cm

小堀遠州 共筒 歌銘 松島 長兵衛殿 前田家伝来
略伝 初名作助、名は政『法号大有、宗甫は参禅の師春屋に受く。号は孤篷庵・天正七(一五七九)年近江坂田郡小堀邑に生る。父の新助正次は大和大納言秀長の臣、備中松山(高梁)城主であり、遠州も二十六歳にして松山城一万二千四百六十石を継ぐ。妻は藤堂高虎の養女である・世職の面では皇居造営、駿河普請奉行を歴任し、従五位下遠江守に叙任、さらに名古屋城天主、禁裏、伏見城書院造営奉行を経て、松山から近江浅井郡に移封、伏見奉行となる。大坂城本丸仮御殿奉行、二条城および御幸御殿、仙洞御所造営の奉行を勤め、寛永六(一六二九)年恩賞金千両を賜う。
 晩年、近江水口城、仙洞造庭、二条城茶席造営に従い、品川御殿、東海寺の幹請を名残りに、正保四(一六四七)年二月六日伏見に死す、享年六十九歳。辞世は「きのふといひけふとくらしてなすこともなき身のゆめのさむるあけほの」。その代表茶席は竜光院密庵、孤篷庵忘筌、金地院八窓などを数う。
茶系は古田織部高弟で、その地位は師が二代将軍秀忠の茶道に引き次ぎ、三代家光の茶道である。茶道芸術の総合的感覚において、織部とは趣を異にし、繊細、優雅、端正のいわゆる綺麗寂びなる主朝美の復古者であり、陶芸、歌道、書道、鑑定の各部面にわたる天才であった。すなわち陶芸面では遠州七窯を指導し、瀬戸諸窯から中
興名物を選抜し、和漢茶器の鑑定に長じた。書は定家をねらって茶器箱書に新様を編み、勅選歌から茶器銘をとりあげるなど、茶道文化史上にエポックをつくった。
茶杓 筒も杓も保存のよき点で遠州茶杓の第一である。杓はずいぶん見事な竹で、全体に黒白片身替になり、切止の方の黒い斑文の中にごまを混えている。また節にも小さい凹みが景色となっている。相先も有馬山型(後に説明)で、厚手で中節が高く盛り上がっている。
筒 保存よく今でき上がったように真新しいのは、前田家の蔵深くおさまっていたことが納得される。竹も「乱曲」と同じに、扁平で、しかも一種の曲り竹を利用して、遠州が器用に見事に書入れしている。つめは縞柿であり、遠州もかなり念入りにつくっている。
歌は「松島 たちかへりまたもきて見む□□□□や をしまのとまや浪にあらすな 長兵衛殿 床 遠子」
付属物 内箱 桐白木貼紙書付
 「茶杓第二番 遠州茶杓銘松島」
追記 松島の歌は「新古今集」巻十俊成の歌。歌の中の「松島」を空字にしたのは面白い。遠子名も珍しい。長兵衛は橘屋宗まで、遠州愛弟子にして茶、書、歌など遠州に指導されていた。
所載 茶杓三百選
寸法 茶杓 長サーハ・〇cm
 幅〇・五-一・〇cm
 厚サ〇・三cm
筒 長サニニ・二cm
 径二・三cm
写真画像
筒 別面

ほか

★状態★
1982年のとても古い本です。
外観は通常保管によるスレ、背ヤケ程度、天小口本文・余白部などに経年並ヤケしみありますが、
カラー写真図版良好、目立った書込み・線引無し、
問題なくお読みいただけると思います。(見落としはご容赦ください)


<絶版・入手困難本>オークションにも滅多に出ない、貴重な一冊です。
古本・中古品にご理解のある方、この機会にぜひ宜しくお願いいたします。


★お取引について★
■商品が到着しましたら、必ず「受取連絡」のお手続きをお願い申し上げます。
■中古品です。それなりの使用感がございます。
モニタのバックライトの作用により、写真画像は実際よりきれいに見えがちです。
■絶版・廃盤、一般の書店で販売されない限定販売、
書店や出版社で在庫切れである、またはその他の理由により、
定価に関係なく相場に合わせて高額となる場合があります。
■「かんたん決済支払明細」の画面を保存・印刷することで領収書に代えさせて頂きます。
領収書に出品者の押印がご必要の場合、「受取連絡」にて代金領収後に別送いたしますので、
取引ナビにて別途ご依頼ください。
■PCよりの出品です。携帯フリマサイトのようにすぐにご返信はできかねます。
■かんたん決済支払期限が切れた場合、連絡が取れない場合、
落札者都合にてキャンセルいたします。
■土・日・祝日は、取引ナビでの応答・発送をお休みしております。
他に連絡・発送のできない日は自己紹介欄に記載しております。
■万一、商品やお取引に問題があった場合は、いきなり評価ではなく、
取引ナビにてご連絡ください。
誠実に対応いたしますので、ご安心いただけますと幸いです。

■上記の点をご了承頂ける方のみ、
ご入札くださいますようお願い申し上げます。

★商品の状態について★
ヤフオク!の定める基準をもとに、出品者の主観により判断しています。
以下は公式ページより選択の目安より転載します。

新品、未使用…未開封の新品、または購入から時間がたっていない一度も使用していない商品
未使用に近い…中古ではあるが数回しか使用しておらず、傷や汚れがない
目立った傷や汚れなし…中古品。よく見ないとわからないレベルの傷や汚れがある
やや傷や汚れあり…中古とわかるレベルの傷や汚れがある
傷や汚れあり…中古品。ひとめでわかるレベルの大きな傷や汚れがある
全体的に状態が悪い…中古品。大きな傷や汚れや、使用に支障が出るレベルで不具合がある。ジャンク品など。


他にも出品しています。ぜひ御覧ください。
↓↓↓出品中の商品はこちら↓↓↓Click here!
マイ・オークションをごらんください

▲ ページトップへ

関連商品

現在見ている落札物に関連した商品を表示しています

楽天市場の関連商品

すべてのカテゴリ